サイパン島で鹵獲された九三一空の九七式艦攻KEB-306
備忘録的に九三一空の九七艦攻についてネットに転がっていた記事を適当にまとめただけです。
機体について
タイトルの通り鹵獲された機体は九三一空の九七艦攻で識別記号はKEB306。この機体は空六号電探を装備しています。写真を見ると主翼と胴体の横にアンテナがついていることが分かります。1943年7月、サイパンの戦いのさなかアスリート飛行場が占領され、この機体も鹵獲されました。
TAIU-POA(Technical Air Intelligence Units-Pacific Ocean Areas)によって鹵獲された他の機体とともにアメリカに送られ、テストされることとなった。鹵獲機体は護衛空母コパヒー(USS Copahee,CVE-12)と護衛空母ウィンダムベイ(USS Windham Bay,CVE-92)の2隻によって輸送されました。この九七艦攻はウィンダムベイの方に載せられたようです。ちなみに、コパヒーには現在でも飛行可能な零戦の零銭五二型61-120号機が載せられていました。
https://catalog.archives.gov/id/266695461
サンディエゴのノースアイランド海軍航空基地で陸揚げされました。サンディエゴに到着した日付について、ウィンダムベイは7月10日に真珠湾に到着し、7月25日に真珠湾を出航、7月31日にサンディエゴに到着しています。その後、Technical Air Intelligense Center (技術航空情報センター)があるアナコスティアに運ばれ、Technical Air Intelligense Center (技術航空情報センター)によって修復され飛行可能な状態になりました。1944年11月16日、オーバーホール後、初飛行。当初はデラウェア州沖に浮かぶ米海軍艦艇に対して、レーダー装置の有効性を評価するために使用されました。この際、レーダー装置は海軍無線研究所(Naval Radio Laboratory)によって運用されていました。1944年12月13日にはメリーランド州のパタクセント・リバー海軍航空基地の戦術試験部(Tactical Test Division)に送られ、1945年4月27日にメリーランド州のアナコスティア海軍航空基地のTAICに送られTAIC6と名付けられました。1945年10月、この九七艦攻と一機の零戦はニュージャージー州リオグランデのワイルドウッド海軍航空基地で"The Navy's Flying Might"というグループに所属し、Victory Loan(戦時国債?)の宣伝のために全米を飛び回りました。1946年7月、ネブラスカ州オマハのフォートクルック(Fort Crook)オスとフィールド(Offutt Field)で開催された航空世界博覧会で静態展示されたものと予想されています。
九三一空
九三一空の戦時日誌がアジ歴にありました。ちょうど1944年のものが1月の分を除いてすべてあったので読んでみると、1944年4月頃サイパン島に九七艦攻を何機か派遣していました。これらの九七艦攻が4月17日にサイパン島から本土に引き上げたのですが、出発する際に一機大破しています。この一機がKEB306かもしれません。